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1994年のSMAPブレイク当時のメンバー6人について、当時のお茶の間の人気ぶりを見てみたいと思います。ブレイク当時、多くの若者を中心に人気があったのは事実です。どんな感じの評判だったのでしょうか?



中居正広

アイドルだけどちゃんとテキパキしゃべるし、いち出演者として場をまとめる感じが既にありました。ブレイク前後くらいに自分達の冠バラエティ番組では、いつも司会、まとめ役をやっていました。

今思うと、ゆくゆくは司会業や語りをする仕事も視野にいれていたのでは、と感じます。ジャニーズタレントで司会、という立ち位置は間違いなく、この人が草分け的存在です。
当時の一般の人達からの評判は、
・うるさい。調子に乗っている
・爽やかで好感が持てる
・茶髪がよく似合ってる
・躍りがうまい
・元ヤンキー丸出し
などというものでした。

木村拓哉

SMAPブレイク当時の人気=キムタクの人気と言っても過言ではありません。キムタクについて当時を振り返り、徹底分析します。

美男子の代名詞、キムタクが誕生

世間一般では、「キムタク」という呼び名が出てきたのは94年です。それ以前では聞いたことがありません。

SMAPブレイクの少し前から、木村拓哉は美男子、ということで知る人ぞ知る存在ではありましたが、94年半ばくらいからは、木村拓哉はカッコいい男の代名詞的存在として、ポジションが確立していきました。若い男女の普通の会話の中でも、「キムタク超カッコいいし~」という言葉が聞こえてくるくらいでした。

94年、靴のメーカーのPRポスターが駅のホームに掲載されましたが、女子達が食い入るように見ていたのを覚えています。盗難防止のために警備員がついたくらいです。女子会社員は会社の机にキムタクの雑誌の切り抜きなどを敷き詰めていました。

男子はキムタクのファッション

キムタクと言えば当時、茶髪のロン毛です。94年のヒットドラマ「若者のすべて」では、まだロン毛といえるレベルではなく茶髪、ちょっと髪長め、という感じでした。今見ると時代を感じる髪型ですが、現代でも通用しそうなほど完成度の高いカッコいいヘアスタイルで破れたジーンズ、革ジャン、ブーツなど、町中には似たようなファッションの男性が見え始め、キムタクファッションの浸透が予感されました。

94年年末から95年に掛けて、ロン毛のキムタクが完成します。このキムタクのロン毛をコピーする男子が町中にあふれました。丸顔の小柄な体型の男性までキムタクのロン毛を真似し、「髪切る金がないだけだよ」などと照れ隠しの発言も多々見られ、「嘘つけ」と思ったものです。それ以前ではロン毛、と言えば江口洋介でしたが、完全にキムタクは男子のファッションリーダー的な立ち位置になりました。

95年のドラマ「人生は上々だ」で、ダウンタウン浜田とのコンビで演じているキムタクが、ロン毛キムタクに火がついた頃のキムタクです。機会があればぜひ観てみてください。

キムタクブランド確立、キムタクの功績

このキムタク人気がSMAPブランド価値を押し上げた、と言っても過言ではないでしょう。他のメンバーのキャラもそれぞれ個性があり、人気が上がってきたことは間違いありませんが、キムタクの存在感は当時、群を抜いており、SMAPよりキムタクのほうがインパクトがあった、と言っても過言ではありません。カッコよくて、怒るとこわーい、圧倒的カリスマ、を擁するアイドルグループはそれ以前には無かったのです。

95年以降、キムタクはテレビドラマで高視聴率を連発し、そのキムタクブランドを確たるものにしていきました。

「キムタク」が誕生しなければ、SMAPの人気は果たしてあそこまで大きなものになっていたでしょうか。SMAP解散のキッカケを作ったとされ、どうしてもその印象が強くなってしまいますし、中居正広の影響力や2016年退所組の底力、などと持ち上げられますが、そもそものSMAP人気の火付け役でもあるキムタクのジャニーズにおける功績、芸能界における功績はもっと褒め称えるべきものだと思います。
グループの人気を押し上げ
所属事務所の格を押し上げ
ドラマで高視聴率を連発させ
若い女性を魅了し
若い男性のファッションを牽引し

と、挙げればきりがないくらい、誰も止めることができないくらいの勢いを長期で見せたことは、大きな功績といえます。

当時、キムタクを越えるタレントは現れないのでは、と言われていました。芸能人には必ずピークがあり、残念ながらキムタクの人気は確実に落ち着き、当時の人気はもうありません。しかし、キムタクを越えた、と言われるスターは現れてはいません。SMAP以降も多くのジャニーズグループがデビューしていますが、「誰がどう見てもSMAPより上」というグループも現れていません。

インターネット全盛の今、テレビコンテンツの衰退を感じ、もうテレビスターが誕生するというのはあまり期待できないかも知れません。キムタクが流行っていた頃が懐かしいですね。



稲垣吾朗

この人ほどナルシスト全開のタレントはそれまで居なかったのではないでしょうか? ナルシストキャラはいたかも知れませんが、稲垣さんは本物だったように見えました。カッコよくてニヒルな感じを好む女性のなかには、稲垣さん好きな人が結構いました。

SMAPのブレイク当初は、SMAPメンバーのなかに、「ドラマ班」(木、稲、森)、「バラエティ班」(中、草、香)と分かれていました。ドラマといえばキムタクですが、まだブレイク当初は、そこまでキムタク=ドラマという感じではなく、稲垣さんのほうが、ドラマ出演としての存在感はありました。先に上げた「二十歳の約束」をはじめ、民法のドラマや、NHKドラマへの出演など、演劇の分野へジャニーズを導くきっかけを作ったのは稲垣さんではないでしょうか?

草彅剛

SMAPブレイク前、そしてブレイク当初もなかなか草彅さんの知名度はあまり上がりませんでした。若者の間では、メンバーのなかで最も名前の知られていませんでした。

皆メンバーはアイドルらしい茶髪でカッコいい髪型をしていたのに対し、草彅さんだけは、結成からブレイクまで一時期を除き黒髪で素朴な髪型でした。バラエティ番組などでの話ぶりを見ても、うまいトークではなく、成熟感のない感じが大変印象的でした。SMAPメンバーのキラキラしたスターっぽさの中で、この一般人ぽい親しみ易さがあったため、SMAPを近い距離に感じることができたのではないでしょうか。

体操部出身である草彅さんは、まだ売れてない頃、光GENJIのバックダンサーの頃から、その運動神経の良さを見せていました。ひと度踊れば、そのキレのあるダンス、そしてバック転、バック宙とSMAPの中では間違いなくナンバーワンのアクロバットセンスです。SMAPのS、スポーツの部分を担っていた、と言ってもいいくらい運動神経のかたまりのような人です。SMAPでバック転ができたのは、木村、森、草彅の三人のみ、その中でも、バック宙まで度々披露してたのは、草彅さんただ一人です。
最近のジャニーズでは、ABC-Zのアクロバットは見ものですが、全般的に「バック転」から離れていくジャニーズを見て、草彅さんはどう思っているでしょうか、、。

香取慎吾

SMAP結成当時、香取さんを見た多くの人が、こんな子供がアイドルなのか?と思ったことでしょう。香取さんの子供感がSMAPの特徴のひとつであり、しっかりものの中居、カッコ怖いキムタクなどの中に子供ポジションがあり、全体のバランスは抜群でした。

SMAP以前のアイドルグループは、メンバー全員が同等、という雰囲気でしたが、SMAPは香取さんがいたお陰で、非常に特色のあるグループに仕上がりました。しかし、香取さんはぐんぐん背が伸びて、ブレイク当初、結成当時の香取さんを知る人は、「こんなに大きくなるとは思わなかった」と口々に言っていました。体の成長の度合いが最も分かりやすいメンバーであり、当時のファン女性達が、「少年から大人になるのを見守ってきた」というコメントを添えて応援していたシーンをテレビでも見かけました。

大人になっても子供っぽく振る舞うのは、素なのか、またはしっかり自分の立ち位置を理解して振る舞っていたのかはわかりませんが、SMAP人気の重要な要素を担っていたことは間違いありません。



森且行

結成9年目にしての脱退でしたが、森且行の人気はブレイク当時確実に上がっていました。森且行は、兄と一緒に事務所に訪れていましたが、大人び過ぎていたという理由で入所がしていません。森自身も、SMAP結成時の時点で長身スタイル抜群の状態は出来上がっていました。森且行を知らない人のために説明します。
長所:
・ジャニーズでは珍しい長身、顔小さい、スタイル抜群。
・歌はまあまあうまい
・躍りの安定感あり
・運動神経がよい、バック転OK、ジャンプ力はかなりある
・まじめで裏表はあまりない
・実はお調子者

これらは、あくまで視聴者目線です。短所を挙げるのもなんですが、トークやアドリブは苦手でした。突然マイクを向けられてコメントを求めらても対応出来ていないケースを多く見かけたものです。本番中に中居に「森、どうだったよ?」と質問された時は、「え?何て言えばいいのかな?あたふたあたふた(汗)」という感じになります。

バラエティ番組やクイズ番組などで円滑に答えられていたこともありましたが、台本があったとしか考えられません。台本を吸収して演技することは上手だった、ということも言えるので、SMAPドラマ班としては重要なポジションでした。

SMAPブレイク当時、森の学生時代の恩師のコメントでこんなものがあります。「森のような活発でやんちゃな奴がなぜ中心メンバーではなく、いつもメンバーの後ろのほうで静かにしているのか不思議だ。」というものです。更にやんちゃで活発なのがメンバーにいた、ということもあるかもしれませんが、自分のカラーを出せない、という苦悩もあったと察します。しかし、そういうおとなしい面もあってか、森且行ファンの女性は、まじめで誠実で優しい感じのところがいい、とよく言っていました。それがブレイク当時の森且行のイメージ、と言って良いかも知れません。

売れない頃からのSMAPを見てきた人は、今だにSMAPは基本6人、という感覚を持っている人が多いのではないでしょうか?


 
というわけで、「ブレイク当時のSMAP」という切り口で当時の各メンバーについて見てきました。
平成=SMAPと言っても良いくらい、十分に時代を作ったグループでした。また、このようなグループが出てきて、様々な社会現象を起こしてくれると楽しいですね。

SMAPのグループとしてのすごさについてまとめた記事はこちら。
SMAPのブレイク時はどのくらいすごかったか?(グループとしてのすごさ)