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光GENJIは、絶頂期、どのくらい凄かったのでしょうか? 今でも光GENJIの当時の人気はよく語られます。その人気ぶりを体感していない人のために、当時の状況をお伝えします。



光GENJIとは、おさらい

いまなおジャニーズアイドルは女の子若い世代には絶大な人気があります。数々のグループがある中で、このグループだけがズバ抜けて人気、ということはなかなか言えません。しかし、80年代後半にデビューした、光GENJI というグループは、
7人組
光が2人(年上)、GENJIが5人(年下)
ローラースケートを履いて躍って歌う
アクロバットが得意

が特徴で、当時ズバ抜けて人気のあったアイドルグループです。事務所のなかでも最も凄かったグループ、社長の傑作とまで言われるほどの人気でした。

いったいどれほどまでの人気ぶりであったか、今の若い世代の方たちは想像もつかないことと思います。数字的な記録や活動の内容、テレビ番組でのエピソード、社会現象といった公の情報は、多くのWebサイトやブログで知ることができます。このページでは、光GENJI の絶頂期に、小学校や中学校の現場、道端、人々の間で何が起きていたか、実際にその場にいた人の情報や実体験をもとにレポートします。今の時代では考えられない程の人気ぶりを知ることが出来ます。

光GENJI の爆発的人気と言える期間は、
1987年秋~1989年春、
の一年半くらいと言って良いと思います。この期間は、とにかくどこに行っても光GENJI でした。ちなみに1988年の半ばくらいから、後輩にあたるSMAPが光GENJIのバックで踊る風景がよく見られはじめました。
参考:SMAPのブレイク時はどのくらいすごかったか?

光GENJIの絶頂期当時である、1987年秋~1989年春の期間で起きた出来事や現象をいくつかご紹介します。

1. クラスの女子全員がメンバーの誰かのファン

クラスのなかには芸能人に興味のない人も何人かいるものです。その部類の人達でも、どのメンバーのファンか質問すると、必ずいずれかのメンバーの名前が返って来ました。ほとんどの女子がテレビや雑誌を見ていた、ということになります。当然観ていない人もいたわけですが、その人達はどこで光GENJI メンバーを知ったのでしょうか?
それは、教室です。
半数以上の女子は光GENJI グッズを持っていたのです。ふでばこ、下敷き、雑誌の切り抜き、シールなど、学校に持って来ても差し支え無さそうな物が、教室にはあふれていました。ファンでない女の子も、先生も、男子も、その影響を受けざるをえなかった、という状態でした。
当時斬新だった歌や、アクロバティックなパフォーマンスを見て、興味を持つのは分かりますが、雑誌の切り抜きや下敷き程度を見てファンになるというのはどういうことでしょうか。
「髪型がカッコいい」
「全部カッコいいね」
などという女子がいました。
そうです。光GENJI の髪型は、一般の男子の髪型とはかけ離れて「アイドルの髪型」だったのです。今もアイドル歌手の髪型はカッコいいですが、どちらかというとナチュラルで真似できるスタイルが多いように見受けられます。しかし、当時の光GENJI の髪型は素人には到底マネ出来ないクリクリパーマをベースとした完璧な「アイドルの髪型」でした。なかでも諸星さん(かーくん)の髪型は、いったいどのように作っているのか全く分からない、芸術的な髪型だったと言っていいでしょう。
アイドルの見た目から来る破壊力に魅了され、テレビを観て、動く光GENJIにはまっていくという流れです。

気になる人気の順は、私の周りでは、

諸星>>>>>敦啓>>山本>赤坂>>大沢>内海>寛之

となっていました。諸星さんが圧倒的人気で、その次に来るのが敦啓さんというところは、当時の筆者の周りの女子達の意見と、当時を語る様々なWebサイトの情報がおおよそ合致しているようです。
敦啓さんとは、現在のアツヒロさんですが、ジャニー氏家族葬での遺影の下の記念撮影では、
近藤真彦⇒(左に)岡本健一⇒木村拓哉、の次に位置しており、この配置を序列と見るなら、光GENJIメンバーとしての功績がいかに大きいものであったかが分かります。ちなみにその更に左隣には内海さんが並んでいました。



2. 新曲をいち早く覚えた人が偉い

80年代は、現在のようにインターネットもなく、新しい情報を仕入れることは至難の技でした。そんな中で光GENJIの新曲、どのメンバーがどんな発言をしたか、など皆が光GENJI情報をわれ先にと集めていました。
人気に火が点いた後、光GENJIについてひとつでも多くのことをしっていることがステータス、というような状況がありました。

デビュー曲であるスターライトで突然人気が爆発した後、次に来たガラスの十代についていち早く知っていた、または歌えた人は、とても自慢げにしていたものです。光GENJIファンの女の子でも情報を入手出来ない子は居たもので、運よく情報ゲット出来た男子が教えてあげて、自らの株を上げるという状況も見かけました。
レコード(現代でいうCD)の発売や歌番組への出演の前に新曲情報をゲットするためには、当時ラジオは優れたツールでした。ラジオでは、曲の1番丸々流れるため、録音をスタンバイしておき、曲紹介があったらすぐに対応出来るように皆必死になっていました。YouTubeで簡単に新曲を聴くことができる今は便利な世の中ですね。

光GENJIが最も人気の高かった1988年は、この現象が続いていました。早く知りたいがために、歌わされている子もいました。また、歌だけでなく、「今度の曲は、先にローラースケートを履いて出てきて、その後、曲の途中で脱ぎ、バクテンとかをやる」とか、「さらにもう一回ローラースケートを履く」などそのパフォーマンスの内容にまで踏み込んだトークが至るところでされていました。「え、その展開ってどういうことになるの?」と聞いたほうも興味津々といった感じです。今のアイドルでそこまで新曲に皆が熱中すること、あるでしょうか?

3. 男子でもファンが結構いる

ジャニーズアイドルは基本的に女の子向けであることは、みな共通の認識だと思います。男子のファンがたくさん居た、というとやや語弊はありますが、ファンを公言していたり隠れファンは結構いました。光GENJIは、男子の中にはアンチが多かったのも事実で、男子で「光GENJI好き」という人はややバカにされていたものです。
「光GENJIアンチ」の人達は「何あれ、ダッセー」といっていましたが、重要なポイントは、「光GENJIアンチ」の人達も、光GENJIの存在を無視できないくらい爆発的なものだったのです。本当に全く関心がなかったら、そもそもコメントしません。

男子ファン、隠れファンはその人気にあやかりたい、と光GENJI情報を集め、様々な動きがありました。
歌マネ
躍りのマネ
レコード(CD)、ビデオの購入、レンタル
など、話題がつきませんでした。

男子の中で、最も流行ったと言えるのは、
バクテン
ではないでしょうか?
至るところで、バクテンに挑戦する男子を見ました。
次の項で詳しく解説します。



4. 小中学生はローラースケートとバクテンに夢中

光GENJI全盛期にローラースケートが流行り、ローラースケート品切の店が続出、という話はテレビや他のブログ等でもよく見かける情報です。しかし小中学校内で実際に何が起きていたかを如実に知るのは、今となっては難しいですね。

ローラースケートは男女とも興味を示し、道端ではたくさんの子供達が夢中になりました。たしかにお店にはローラースケートが売り切れで変えなかったため、光GENJIが流行る前に買った昔のローラースケートを履いて遊んでいる人も多かったです。小さな子供の頃に買ったローラースケートは小さくてはまらないため、車輪の部品ユニットの部分だけ外して自分の靴に取り付けている人もいたくらいです。普通のスニーカータイプのローラースケート、といった感じです。

男子の間で最も流行っていたことは、バクテンでした(正式にはバック転と言います)。
光GENJIの歌を歌う男子⇒確かにやや引く?口ずさむくらいならいいかもしれません。
バクテンが出来る⇒純粋にカッコいい、運動神経よし!
ということで、運動神経の良い男子の多くは、バクテンをマスターするべく体育館のマットや公園の芝生などで練習する風景がありました。
普通のバクテンをマスターしただけでもかなりチヤホヤされたことは言うまでもありません。マスターした男子は、女子から「バクテンやってよ!」と言われて、「キャー、すごい! ○○くんみたい!」ともてはやされます。(○○のところには、その子のファンのメンバーの名前が入っています。)
バクテンは、あまり運動神経の良くない子や、当時いた不良少年達も少し練習すれば出来たので、廊下や校庭あちこちでバクテンが見れる様は、今思うと不思議な光景でした。人気アイドルの影響力はすごいですね。

光GENJIメンバーのバクテンやダンスについて触れておきます。

メンバー全員バクテンが出来ます。全員上手です。デビュー時点で、内海、大沢、諸星、寛之、山本の5人は既にマスターしていました。赤坂、敦啓の2人は、デビュー後もしばらくはバクテンをマスターできず、テレビ番組でメンバー5人から指導を受けるシーンがありました。ビデオ「太陽がいっぱい」では、未完成のバクテンを披露するシーンを見ることも出来ます。この時、2人はまだ中3です。その年(デビュー翌年)にバクテンをマスターし、年末の紅白歌合戦初出場では、ステージ上でキレイなバクテンを披露しています。

メンバーのバクテンのキレイな順番です。ダンスのうまい順番と同じ、と考えて差し支えありません。全員甲乙つけがたいですが、筆者の主観でいうと、以下になります。

諸星>>大沢>山本>敦啓>赤坂>内海・寛之

かーくんのバクテンは、完璧です。ジャンプの高さもメンバーで一番です。大沢さんのバクテンは、特に連続バクテンのときにそのキレイさが際立ちます。身長が高いにもかかわらず、体の動きはなめらかです。
かーくん、大沢さんの2人は、ローラースケートを履いたままバクテンが出来ます。
内海さんと寛之さんも、もちろん運動神経は抜群ですが、やや硬い感じがあります。
光GENJIはバクテンだけでなく、バク宙や側宙、前宙、そして二人でやるバク宙(ガラスの十代の最後の部分で諸星・内海の二人がやるアクロバッット)などもあり、かなりの運動神経を披露していました。全てを網羅する一般小中学生はさすがにほとんどいませんでした。
メンバー全員バクテン、バク宙が出来ます。それ以外に、内海さんは側宙、かーくんは前宙や跳ね起きを、さらに得意としています。

5. 初対面でも光GENJIネタで仲良しに

全盛期の光GENJIの人気は、当時誰もが認識していることでした。特に若者の間では、芸能人に興味があれば、全メンバーを知っている、あまり興味なくても、諸星と大沢は分かる、という感じで知名度は申し分ありませんでした。これにより、他の小学校や中学校の子供と会っても、光GENJIを話題として持ち出せば、だいたい会話が盛り上がる、という状況です。「今日の○○(歌番組)では、○○(曲名)も歌うらしいよ」「本当?それ歌っているところみたことない、超楽しみ。」という具合です。また、下敷きやバッジ、キーホルダーなど、持っている光GENJIグッズを見て、「え、あっくんのファンなの?私も!」と意気投合する確率はかなり高かったです。

光GENJIの人気は、もちろん都心部だけに留まらず全国レベルでのものだったので、田舎に言っても、光GENJIが共通のコミュニケーションツールだった、と言っても過言ではありません。地方のいとこにものすごく久しぶりに会っても、「○○(友達名)が山本のファンで、私は赤坂なんや!そっちの東京のほうでは誰が人気?やっぱかーくんなんか~?」と。それでまずは打ち解けて、すっと仲良くなっていく、という流れです。

まとめ

光GENJIは、ジャニーズ事務所内だけでなく日本のアイドル史で観ても、その人気の瞬間最大風速は、最も凄まじいと言われるほどでした。その光GENJI現象の数々をお伝えしましたが、いかがでしたでしょうか?
さすがに全ての小中学校で起きていたことまでは確認していませんが、多くの子供達を魅了し、芸能界、日本の社会に大きな爪痕を残したことは間違いありません。光GENJIの人気が落ち始めた1989年半ば以降は非常に残念な流れでしたが、その全盛期の人気は多くの人達の記憶に残っています。最近では、全世代への影響力や爆発的な人気、というスターがなかなか現れませんが、日本の景気が回復し、バブル期のように世の中がお祭りムードになる時代がきたら、また光GENJIのようなスーパースターが出てくると面白いですね。
以上、光GENJIの全盛期のスゴさについて、お伝えしました。